あの派遣会社を振り返る(1)~年間150の新規出店~

みなさんこんにちは。2022年ももう半分が過ぎようとしている。コロナの不安がありながら、少しずつ皆が踏み出そうとしているこの時期。いくらか昔の話を残しておこうとブログをはじめます。

軽い自己紹介。会社員のアラフィフ男。地方都市在住の平凡な人間です。年相応に体の衰えを感じながらも旅行・読書など好きなことを続けている。

ずばり、〇ットウィルのことを書いてこうと思う。覚えていますか?10数年前に、リーマンショックあたりを機に「年越し派遣村」「日雇い派遣」「データ装備費」「業務停止」などの言葉が世間を駆けめぐった。コブラみたいな頭をした会長が頭を下げた映像を記憶している人もいるかもしれない。

私は「中のひと」だった。2005年に正社員として入社し、ほんの数年ではあるが、信じがたい(理解しがたい)光景を幾度も目にし、ジェットコースターのような日々を過ごした。

いま考えてもなかなか得難い経験であると思っている。いつかまとめなければならないとなんとなく感じていた。

前職は教育関連のサラリーマン。ややワンマンではあるが、ノルマもさほどなく数年のんびり仕事をしていて他のことをやってみたかったという、今思えば非常に危機感のない動機だ。転職サイトで求人を見つける。いくつかの募集職種のなかに店舗開発がある。かなりの勢いで出店しているようで人が足りないようだ。前職で多少物件探しに関わったことがあったので応募し面接の連絡をもらう。このときにいわゆる「ブラック臭」を感じていた。人事担当者からの電話が連日深夜22時過ぎに来るのだ。なかなかである。

そして面接へ。場所はオープン間もない六本木ヒルズ森タワー。セキュリティーなど無縁の中小企業勤めであったため、舞い上がっている自分がいた。すごいテナント料のはずだ。創業から短い期間でここにオフィスを設けるには「普通のこと」をやっていてはできないだろう。まもなくそれを見ることになるのだが。初出社の日。自己紹介も終わらない間に退職の決まった前任者Fさんとの引継ぎ。Fさんはどうも体を壊して辞めるようだ。いやな予感がする。予感というよりは実感に近い。恐ろしい。激務。過労死。いやなワードが早くも頭を駆けめぐる。

当時は1か月に10~20支店のペースで出店していた。年間150超。当時の派遣会社は得意先の業種によって支店を分けており、1つのフロアに複数の支店(ストアスタッフと引越しなど)を入れることもあったので物件数は少し少なくなるのだが、いずれにせよ普通の出店ペースではない。その出店業務をわずか3~4名程度でまわしているから・・ということだ。当時は800支店を超えたころで1000店に向けて突き進んでいたころである。

普通に書いてしまったが、人材育成などという言葉はほぼなく、支店の人材もまったく足りないのは明白。それでもこのビジネスモデルは拡大しかないらしい。ということで初日終了。大丈夫かな。次回は週1度の朝礼について。ではまた。